僕もきっとノモ・マニアだったのだろう
いずれ書くことにはなるんだろうと思っていて、
それでいて先延ばしにしていたけど、今日がその日となりました。
【野茂投手が現役引退決意 米進出の先駆者、力衰え】
(Major.jp:共同通信社)
ヒジの手術以来2年間メジャー登板がなく、
今年はロイヤルズでメジャー復帰も、3試合で防御率18.69と精彩を欠き解雇。
速球が生命線だった野茂が140キロもままならないという状況では
もう厳しいかなと思っていましたが、やはり現役引退ということになったようです。
野茂はメジャーで12年(95年〜05年、08年)プレーしたわけですが、
やはり一番印象に残る活躍をしたのは
第1次のドジャース時代(95年〜98年途中)ではないでしょうか。
オールスター出場もあったし、コロラドでのノーヒッターもありましたし。
95年といえば、僕は大学進学で初めて故郷を離れた年。
そして、95年〜98年といえば
大学やバイト先で、楽しい仲間たちとあーだこーだ言いながらやっていた時期。
なので、「野茂」という言葉を聞くと
当時のいろいろな記憶もフラッシュバックしてくるようで、
一種のノスタルジーを感じさせます。
当時は、BSでの生中継というと、野茂の登板日くらいのものでした。
(吉井の登板日もあったけど、野茂のときはほぼ毎回中継でした)
あの、西日が入ると40度にもなる暑い部屋で、
際どいコースで四球を出すと「あれがボールか」と憤慨し、
球数が増えると「今日は7回投げきれないで交代か」と心配し、
ピアッツァが外寄りに構えると「また外角一辺倒か」と首を傾げ、
ビル・ラッセルが出てくると「まだ代えるな」と心中祈り、
そうやって、一球一球、集中して見たものです。
あれから10年が経ち、日本人メジャー選手も本当に多くなりました。
テレビ中継も毎日のようにしています。
そして、僕も学生から社会人へと立場が変わり、
メジャーリーグへの付き合い方も、以前とは性質が変わってきました。
どちらが良い、どちらが悪いということではありません。
ただ、あの頃野茂の試合を見ていたときのような、
そういう観戦の仕方は、もうできないのだろうと思います。
当時の僕も、きっと「ノモ・マニア」の一人だったのでしょう。
それでいて先延ばしにしていたけど、今日がその日となりました。
【野茂投手が現役引退決意 米進出の先駆者、力衰え】
(Major.jp:共同通信社)
ヒジの手術以来2年間メジャー登板がなく、
今年はロイヤルズでメジャー復帰も、3試合で防御率18.69と精彩を欠き解雇。
速球が生命線だった野茂が140キロもままならないという状況では
もう厳しいかなと思っていましたが、やはり現役引退ということになったようです。
野茂はメジャーで12年(95年〜05年、08年)プレーしたわけですが、
やはり一番印象に残る活躍をしたのは
第1次のドジャース時代(95年〜98年途中)ではないでしょうか。
オールスター出場もあったし、コロラドでのノーヒッターもありましたし。
95年といえば、僕は大学進学で初めて故郷を離れた年。
そして、95年〜98年といえば
大学やバイト先で、楽しい仲間たちとあーだこーだ言いながらやっていた時期。
なので、「野茂」という言葉を聞くと
当時のいろいろな記憶もフラッシュバックしてくるようで、
一種のノスタルジーを感じさせます。
当時は、BSでの生中継というと、野茂の登板日くらいのものでした。
(吉井の登板日もあったけど、野茂のときはほぼ毎回中継でした)
あの、西日が入ると40度にもなる暑い部屋で、
際どいコースで四球を出すと「あれがボールか」と憤慨し、
球数が増えると「今日は7回投げきれないで交代か」と心配し、
ピアッツァが外寄りに構えると「また外角一辺倒か」と首を傾げ、
ビル・ラッセルが出てくると「まだ代えるな」と心中祈り、
そうやって、一球一球、集中して見たものです。
あれから10年が経ち、日本人メジャー選手も本当に多くなりました。
テレビ中継も毎日のようにしています。
そして、僕も学生から社会人へと立場が変わり、
メジャーリーグへの付き合い方も、以前とは性質が変わってきました。
どちらが良い、どちらが悪いということではありません。
ただ、あの頃野茂の試合を見ていたときのような、
そういう観戦の仕方は、もうできないのだろうと思います。
当時の僕も、きっと「ノモ・マニア」の一人だったのでしょう。
2008.07.29 22:57 | MLB | トラックバック(0) | コメント(0) |
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